小学4年生の俺。

転校4日目、ブラスバンド創部のお知らせのプリントが、配布された。

そして、転校5日目、金曜日。
2時間目と3時間目の間の長めの休みを利用して、俺は、母のサインをもらったブラスバンドの入部申込書を持って、音楽室へ向かった。

顧問は、新規採用の田耕作先生。

始業式で見ているはずだけど、俺は俺のことで手いっぱいで、まったく覚えていなかった。

「はい。どうぞ」

音楽室の重いドアをノックすると、地底の怪人のような、今まで聞いたことのない、重くて低い、そして、何より念のこもった返事が返ってきた。ちょっとだけひるむ。

「失礼します」

音楽室に入ると、細くて黒いネクタイをした声の主が、歩み寄ってきた。

でかい。
怖い。

向こうの窓の近くにいたけれど、歩くとあっという間に距離が縮まって、今、先生は目の前にいる。
歩幅が大きいせいだろう。なんだか遠近感が狂う。
身長は、2メートル近くあるだろうか。痩せているので、とにかく上下に長い印象。

顔も長くて、しかもその半分ぐらいが顎だ。
こんな人をどこかで見たことがある。父がこの間、DVDで観ていた映画の悪役。

えっと。
そうそう。

「帝都物語」の加藤保憲。

「ブラスバンドの入部申込書を持ってきました」

唾を飲みながら、やっとそれだけ言うと。

「早いね。一番乗りだよ」

やった!

「ええと、西瓜君だよね。島から来た転校生の」
「はい」

俺の名前を憶えているのにびっくり。俺は申込書を手渡した。

「音楽担当で、ブラスバンド顧問の田です。
僕は、先生になったばかりの一年生。ここには来たばっかり。
同じだね。同級生だ。よろしく」

田先生が不器用そうに口をゆがめたのは、笑おうとしたのだろう。
先生も少し緊張しているのだと察した。
凄みのある表情で、右手を伸ばして、俺と握手をする。

手も、でかい。

俺の手は、すっぽりと先生の手の中に入ってしまい、妙に毛恥ずかしい。
でも、俺は、この時、この学校に、二人といない強い味方を得た気持ちになっていた。

平将門の怨霊を利用して帝都を破滅に導く不死身の怪人が、俺の守護神になったのだ。


「ブリティッシュスタイル?」
「うん」
「へえ。あれ?サックスがいない」
「サックスは木管楽器なんだってさ」
「あ、なるほど。ブラスバンドだから、金管だけなわけね」
「そう」

母が父にプリントを見せながら説明している。
父の仕事は、農業普及員だ。毎日農家を回っているらしい。

「ええと。パーカッション、うん。
コルネットっていうのは、何?あ、トランペットの小さいの。ふうん。
それから、アルトホルン?初めて聞いた。トロンボーンに、ユーフォニアム。
それから、ああ、チューバね。へえ。
で、西瓜、どれやるの?」

「どれがいいだろう」
「はは。こんだけあると分からないよね。俺もわかんないもん」
「うん」
「西瓜さ、手先不器用じゃん。チューバはどう?ベースの音を刻む楽器だから、音数が少ない。他のよりむつかしくないんじゃない?あと、重宝がられる。いないといけない存在」
「そっかあ。うん」
「ま。好きなものをやるのが一番だけどな」

チューバかあ、ないよな。
だって、俺のアイドル、ジェームス・ブラウンのバックバンド、JBズには、チューバはいないもの。

翌週、バンドは発足した。
小学校の4年生、5年生、6年生、総勢30名。
俺たち25名の4年生クラスからは、半数の13名が入部。
その中には、むう君も、ちゅんたも、里美もいた。

俺は、迷わず、コルネットに手を伸ばした。